真面目系クズの自由帳

風呂えもんが日々考える事柄を書き綴るよ。ツイッターやってるよ。おしゃべりしようず。

空気を読む文化がマジョリティを殺す。

こんぬつわ。風呂えもんです。
突然ですが今日はこんなお便りをご紹介いたします。
 
「初めまして、風呂えもんさん。僕はゾンビゲームが大好きで、毎日ゾンビゲームをしています。最近ではゾンビゲームが好きすぎて、普段から街にゾンビがあふれたらどうしようかを考えて生活しています。風呂えもんさんは街にゾンビがあふれたらどうしますか?」

 

いい質問ですね。
「もし、街にゾンビがあふれたら…」
正常な一般男性ならば、必ず一度はこの事案について考えているはず。
大抵の人は、「ホームセンター最強っしょ?武器庫みたいなもんだし。」という結論に至るらしい。
 
少し話が変わるが、風呂えもんが小学生の時に、近所の公園に昼間から鬼ころしを飲みながら、小学生に政治を語るおじさんがいた。
そのおじさんが、
「ゾンビが街にあふれた時に、ホームセンターに逃げ込む奴はアホや。100%死ぬ。」
と言っていた。
 
おじさんは何が言いたかったのだろうか。
それは「本当の敵はゾンビではなく人間なのだ」と言うことである。
ゾンビがあふれたらホームセンター」と言うマジョリティ(多数派)の人間に流されること自体が危険なのだ。
この件で言えば、ホームセンターに大量に逃げ込んだ人間の中の一部の人間が狂気に駆られ、ホームセンターにある豊富な武器で、人間の殺戮を始める未来が見える。
 
ゾンビと言うパニックにかまけて本質を見失ってはいけない。
人間を殺すのはいつも人間なのだ。それを忘れてはいけない。
 
もちろん非現実的なゾンビでなくてもその本質は同じだ。
現実でもマジョリティに流された時、人(個性)は死ぬのだ。
いかに人と違う行動をとるのか。日々常識を疑うことで個性を出していきたいものである
 
もう一つ、「マジョリティに流される」の同義語に「空気を読む」というものがある。
これはさらに悪質である。
「私は何も言わないけど、みんな同じ意見だよね??大体わかるでしょ??」
とありもしないマジョリティを押しつける行為である。言わずと知れたクソ文化だ。
 
以前、男と女が臭い色水を飲みながら、軽くラリった状態になる会があった。
そこで風呂えもんは突然オッパイが揉みたくなってしまった。
 
女ども「この後どーする^^二次会行っちゃう??^^」
風呂えもん「いいねえ。じゃあ、そこのラブホでオッパイでも^^」
 
空気が凍りついていた。私は何がなんだかわからなかった。
その後の反省会によると、あれは空気が読めていなかったらしい。
 
でも、ちょっと待ってほしい。少なくとも男性陣はオッパイを揉みたかったはずだ。
なぜなら男性陣とは普段から意思疎通が取れていて、私は彼らがオッパイ を揉みたくなかった日を知らない。
だからこの時点で過半数オッパイ派だったはずだ。
 
女性陣もこんな会合に来るくらいだから、一人や二人オッパイ派がいて然るべきではないか。
この時点で3分の2以上のオッパイ派がいる。ここが永田町ならオッパイ法が成立してもおかしくない。
 
なのにもかかわらず、存在しないはずの非オッパイ派が「空気を読め」と言う力技でマジョリティに仕立て上げられ、あまつさえ本当のマジョリティであるはずのオッパイ派の私を弾圧しはじめたのだ。
 
目に見えるマジョリティが常に正しいとは限らない。
空気を読むという悪習のせいで本当のマジョリティが隠ぺいされていることがある。
いつの時代も本質を見極めて、自分の正しいと思う道を進んでほしい。
 
したがって、風呂えもんが冒頭のゾンビの質問に答えるならば、
街にゾンビがあふれたら、オッパイがあるところに行きます^^」