真面目系クズの自由帳

風呂えもんが日々考える事柄を書き綴るよ。ツイッターやってるよ。おしゃべりしようず。

塩厨とタレ厨の戦争が好きだ。

「塩厨」
特定の料理、食材を食す時に塩以外で食すことを頑なに拒否する人、またはその様。
塩厨はその中でも特に塩以外で食す人間を侮蔑する人間を揶揄する言葉。
 

 

塩厨とは一体なんなのか?
インターネット業界では古くから「塩厨」と「タレ厨」が終わりなき戦争を繰り広げている。
塩厨の特長として
・意識高い系
・ガキ
・早朝、「シンプルに塩でー!!」と鳴く。
があげられる。
 
始めに断わっておくが、私は塩厨の味方でもなければ、タレ厨の味方でもない。
もしかしたらこれから塩厨をこき下ろす発言をするかもしれないが許してほしい。
私に塩厨を下に見るような意図は全くないのだ。
だからこそ塩厨にはこれからも元気に「素材の味」を楽しんでほしいし、
「塩で食べたことないの?高級店に行ったことないんだろうな」
「高い店なら塩、安い店ならタレ」
という妄言を吐き続けてほしい。なぜならおもしろいから。
 
前述もしたが、塩厨はとにかく「素材の味」を楽しもうとする。
松屋のカルビ焼肉定食でも「これは塩で食べたいね」と言い放ち、「素材の味」を楽しむ。
「お前、スイカにタレかけて食うのかよwww塩はスイカの甘みを引き立てるんだぜwww」と言い始めたら末期だ。
 
塩の良いところだけを抜きだして、妄言を重ねる塩厨はいつ頃生まれたのか。
私の記憶では、てんぷらは高級店だと塩で食べる云々言いだしたあたりだっただろうか。
「塩で食べる=高級店=高尚な行動」という間違った公式に便乗した塩厨はこの時に生まれ、そしてありとあらゆるものを塩で食べだしたのだ。
 
塩厨の行動はいたって単純だ。
食事で味付けを選べるサービスがあった時、盲目的に塩を選択する。
そして同行者は塩以外を選んだ時、その食事中は常に
「素材の味が~」
「シンプルに~」
「タレとかどこで食べても同じ味で~」
とブツブツ言いだすのだ。壁に向かってしゃべってろ。クソが。
 
文字で読むだけでも腹立たしい塩厨であるが、厄介なことに意識高い系が流行するとともに爆発的に増えて行った。この頃はみんな「違いの分かる人間」に憧れていたのかもしれない。
 
 
しかし、そんな中颯爽と現れたのが「タレ厨」だった。
タレ厨は爆発的な勢いで増殖し、塩厨を駆逐していった。
「あの憎たらしい塩厨をぶちのめしてくれるなんて!!素敵!!」
と最初は私もタレ厨を応援していた。しかしそれが間違いだった。
タレ厨もタレ厨で結構ヤバかった。
 
タレ厨の特長は
・ケンカッ早い
・謎の反骨精神
・ガキ
となっている。 
 
タレ厨はとにかく噛みつく。親の敵が如く周囲に噛みつくのだ。
問題は塩厨だけでなく「ただの塩味好き」にも咬みつき、烈火の如くまくしたてるのだ。
タレ厨よ。それは敵ではないぞ。
 
タレ厨とは「これまで塩厨に弾圧され続けたタレという概念」のなれの果てなのだ。
鬱屈した感情が臨界点に達し、「タレ厨」という化け物を生み出してしまったのだ。
彼らもこの化け物に憑りつかれた被害者なのかもしれない。
 
こうして、タレ厨はここぞとばかりに塩厨を叩きまくった。
「タレで店のレベルがわかる」
「タレは店ごとの特長が出る」
「塩はどこで食べても塩」
などなどだ。 
 
私は辟易していた。
「これでは塩厨の歴史を繰り返しているだけではないか。」
そして、その結果がこれだ。
 

【質問】「タレよりも塩を選ぶ人の方が、通っぽい」という風潮に、違和感を感じますか?

 

・感じる:35.1%
・感じない:64.9%
 
タレ厨の反撃虚しく、塩厨の壁は破れなかった。
これが自我を失い、目に映るもの全てを攻撃したタレ厨の末路だ。
その後、人の心を取り戻したタレ厨の目には涙が浮かんでいた。
 
次に現れたのは「料理によるよね厨」だ。
この「料理によるよね厨」は料理によって塩かタレかを食べ分けるのだ。
例えば、焼き鳥の鳥皮なら塩、つくねならタレといった要領だ。 
 
この「料理によるよね厨」の特長はとにかくつまらない。人としてつまらない。
話してて全く面白くない。
 
あのね、君。これはエンターテイメントなの。
長年続いた塩厨とタレ厨の討論はもはや伝統芸能、エンターテイメントなの。
塩厨もタレ厨ももはやこの戦争を楽しんでいるの。
そこに
「えー、私は料理によるかなあ^^」
なんて意見は必要だろうか?否、不要。
壁に向かってしゃべってろ。クソが。
 
無理にでも塩厨かタレ厨かを選択して対戦相手を論破する。
それが今君たちに求められてることなんだよ。
 
塩厨とタレ厨の戦いは、人々の娯楽となり、今後も永遠に続いていくのだ。