トイレの時間。それはとても甘美なものである。
風呂えもんは幼少期からトイレの時間が大好きだった。なぜかというとトイレという空間がとても落ち着くのである。
実家のトイレの隅には、いつも漫画が3、4冊積まれていた。これはもちろん私が持ち込んだのだ。
私はトイレの中で「ドラえもん」を読みだすと時間を忘れて物語を追ってしまう。
数十分、ひどい時は1時間以上トイレから出てこないこともあった。
言っておくがこのドラえもんはトイレ以外で読んでもさほどおもしろくはない。
最初は普通に使用しているが、次第に悪用する。
最後はバチが当たったのかは知らんが、結局酷い目にあって「もうコリゴリだよー。」が関の山。
風呂えもんがパソコンの前に座る。
↓
おちんちんを握る。
↓
うっ…。ふう。(モウコリゴリダヨー。
くらいにワンパターンである。これの繰り返しなところも似ている。
そんなワンパターンなドラえもんにどんな魔力があるのだろうか。検証が必要だろう。
ドラえもんはワンパターンと言ってしまうと聞こえが悪いが、よく言えば完璧なまでの様式美なのである。
次はこうなるだろう。その次はこうなるんじゃないか?という読者の想像がピタリと当たるのだ。気持ちがいいほどに。
これを排便しながら読むことで、ただでさえ気持ちのいい排便が、相乗効果でさらに気持ちが良くなるのだ。
もう一つが安心感である。様式美は安心感へとつながる。読者を全く裏切らないからとても安心して読めるのである。
この裏切りの最たる例が「ホラー映画の急に鳴る大きな音」だ。あんなの反則でしょ。怖くないけど驚くよ。
トイレで排便しながらホラー映画を見たい人なんていないはずだ。なぜなら安心できないからに他ならない。
(ただ、最近はホラー映画でこの手法を使い過ぎて、この大きな音こそホラー映画の様式美になりつつある。けど風呂えもんは都合の悪いことは知らないふりをします。反論があるならチラシの裏にでも書いといてください。)
トイレという下半身丸出しの空間で人間は無意識に安心を求めてしまう。排便者の需要とドラえもんの供給(安心感)がピタリと一致しているのだ。こうなればおもしろいのは必然である。
風呂えもんは漫画が大好きだ。
同じ漫画でもシチュエーションによってここまでおもしろさに差が出ることに感動を覚えている。
「トイレでドラえもん」
「定食屋でゴルゴ13」
「小学生の頃みんなで作った秘密基地でエロ漫画」
などなど多くの例があるだろう。
風呂えもんは他にも漫画がおもしろくなるシチュエーションがないか調査して追って報告する。
また、今回の調査結果に根拠はなにもない。ただの思いつきである。