増殖する記念日についてなのじゃ
風呂えもんはもうすぐ誕生日です。
ブログ、ツイッターで小学生のような低俗な発言を繰り返す私も、実は結構な年齢である。
一般的に語尾に「のじゃ」を付けるような年齢になってきたのじゃ。
もう若者とも言えない年齢になってくれば、誕生日なんて嬉しくもなんともないのじゃ。
自分の誕生日だろうが、他人の誕生日だろうが祝おうとも思わないのじゃ。
以前、友人から「もうすぐ〇〇の誕生日だから集まろうぜ!!」という内容のLINEがあったのじゃ。
ハハーン。なるほどのじゃ。
私達はもう誕生日を祝うような歳でもないのじゃ。
こいつは結局のところ誕生日を理由にして、酒を飲んでオッパイを揉みたいのじゃ。だいたいわかるのじゃ。
私はそんな友人たちの心中を慮って、
「オッパブ行きたいんでしょ^^わかるよ^^」
と返信をしたのじゃ。それ以来、誕生日飲みに呼ばれることはなくなりましたのじゃ。
静かで嬉しいのじゃ^^
私は基本的にこういう記念日と言うものがあまり好きではないのじゃ。
例えば最愛の恋人から、
「今日は付き合って1ヵ月の記念日だね^^」
なんて言われようものならものすごい剣幕で
「なんじゃあそりゃあ!!もう怒ったで!!そこのホテルでファックや!!」
と怒鳴り散らすのじゃ。
もう毎日が記念日。こいつら毎日お祭り気分なんですのじゃ。
そして、大した思い入れもないのにインプレッション数の為に、「#〇〇の日」というハッシュタグをつけて呟く人々がいるのじゃ。
そのタグで検索してみれば、既存の立ち絵に申し訳程度に記念物をイラスト化してぶち込んでアップしているのじゃ。
君たち、その記念物のことそんなに知らんじゃろ?と言いたいのじゃ。
よく知らないのに祝うのは良くないじゃろ?
例えば、自分の大事な愛娘に初潮が来た時、よく知らないおっさんが赤飯持って、
「おめでとうございます。フヒヒ。」
って訪ねてきたらどう思うんじゃ?
「ありがとうございます!!お上がりください!!」
って家に上げて一緒にお祝いするか??
しないじゃろ??
だから記念日を祝うのも免許制にするのじゃ。
クリスマスを祝っていいのは、キリスト教を崇拝し、毎週ミサに通っている人とか、ハロウィンを祝っていいのは農業に従事し、この秋に何かしらの収穫をしていること、とかにするのじゃ。
さらに、記念日免許を取ったら何がなんでも祝わないといけないことにするのじゃ。
「今年は祝えたけど、来年は忙しいから祝いません。」
なんてもっての外じゃ。覚悟が足りんのじゃ。
記念日を祝うということにはそれぐらいの責任が伴って然るべきじゃ。
冒頭の「付き合って1ヵ月記念日問題」であれば、端的に言うとこれから毎月祝うの?それだけの覚悟を持ってるの?って話なのじゃ。
「来月はやらないけど、3か月目、6ヶ月目、1年目はやりまーす^^」
とかふざけてるじゃろ。法事と間違えてお経を読み上げそうじゃ。
だからワシの誕生日もみんな祝ってくれなくていいですのじゃ。
別に寂しくなんかないですのじゃ。